日常雑感未分類

い と こ 会

い と こ 会

行政書士会諏訪支部 藤森 ひろ子

 母方の「いとこ」の集まりの会(配偶者も可)です。「常光会(じょうこうかい)」と名付けたのは母の実家が「常光の家」と呼ばれていたからだそうです。

なぜそう呼ばれていたのかは定かではありません。母は六女の末っ子。すぐ上の兄(男一人)が家を継ぎ、その上に五人の姉達がおり諏訪、岡谷、伊那にとそれぞれ嫁ぎました。一番上の姉とは20近く歳の差があったと思います。一番歳の近い「いとこ」が兄と同学年の実家の末の女の子、すべて歳上。改めて数えたら21人おりました。

発足当初は、あちこちの場所に一泊2日の旅をして夜は宴会で盛り上がったようです。歳が離れている私と妹は子育て真最中で参加することが出来ませんでした。何年か経ち、いとこ達も歳を取り、遠出がつらくなり、親の実家がある諏訪の地で、毎年11月第2週の日曜日に一泊することに変更。その頃は親の姉兄は母だけとなり「特別会員」で、ご招待の待遇。「一般会員」の私達と一緒に参加するようになり、元気に出掛けて行くと喜んで頂きました。歳の差のない叔母、甥、姪の間柄ではなく見た目には姉弟・姉妹?多めに見ても「いとこ」みたいでした。いつも私たちは何なのかと?妹と言ったこともあります。

女性陣は、今年は何を持ってきたとか、作ったとか、自慢の品を持ち寄り、宴会前におなか一杯になり困ったこと。男性陣は、体調を気遣いお酒を飲む人が徐々に減り、宴会が年々静かになりカラオケもした賑やかな頃が懐かしいです。歳の差を気にすることなく、お風呂で背中を流しながら、宴会後も一部屋に集まり遅くまで何気ないお喋りなど楽しかったことが思い出されます。この頃は、体調を崩された方が目立ち、参加者も少なくなり30人以上参加していたのが半分くらいになりました。60歳以上の高齢者の集まり、遠くは北海道から、東京近郊からも毎年、幾人か楽しみに来て下さいました。

長年続いてきましたが、子育て・養親の介護等があり参加不能、出来ても日帰り、ようやく夫婦で泊まれるようになったと思ったら、コロナ感染の騒ぎ。昨年は私達姉妹が当番でしたが、お盆過ぎにやめることに決めました。母も他界し、この数年に「いとこ」も数人亡くなり現在は7人だけとなってしまいました。非常に残念ですが、いとこ会の存続(平成3年から記録あり)は難しいかな?と。これを機に終わりにしようとの声もあります。会のお金がまだあり、自然消滅とはいかず、コロナが落ち着いたら話し合う予定です。こんな時に当番とは頭が痛いです。(誰か曰く:当番が若いところで良かった。)

早くコロナが終息し、みんなが気兼ねなく集える日が来ることを願わずにはいられません。また、元気で会いましょうねとしか今は言えません。


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